芥川龍之介(1927)[或旧友へ送る手記],『或阿呆の一生・侏儒の言葉』,角川文庫(2026年発行・改版17版),p. 197.
(私見) 1927年、芥川龍之介は自ら命を絶つ直前、友人に宛てた手記の中で、その動機を「ぼんやりした不安」と表現した。それは、何か一つの明確な原因に還元できるものではなく、自らの将来に対する漠然とした、しかし個人的な背景を含む深刻な不安であった。
約百年を経た今日、私たちもまた、先の見通せない時代を生きている。国際秩序が揺らぎ、AIの急速な進化は人間の可能性を広げる一方で、社会や生活の基盤を変えようとしている。未来に何が待っているのか、誰にもわからない。芥川のいう「ぼんやりした不安」は、現代を生きる私たちにも通じるものがある。
そんなことを考えていると、一枚の絵の含意が思い出された。16世紀の画家ティツィアーノがギリシャ神話の一場面を描いた、《バッカスとアリアドネ》である。愛する英雄テセウスに置き去りにされたアリアドネ。絶望する彼女の前に、酒神バッカスが突然現れる。画面左には去っていく船、中央には新たな出会い、そして左上の空には、後に彼女の冠が天に上げられて生まれる星座が輝いている。過去の喪失、現在の転換、未来の救済が、一枚の絵に同時に描かれているのだ。つまり、アリアドネ自身にはまだ見えていない救済が、未来に用意されていることを、この絵は暗示している。
たとえ絶望的な状況であっても、その先には思いもよらない救済が待ち受けているかもしれない。僕は、その幸いの可能性を信じたい。
絵画 Titian | Bacchus and Ariadne | NG35 | National Gallery, London
音楽(音が出ます) Lasciatemi Morire by Claudio Monteverdi